宮子あずささんに聞く 「看護師」というお仕事 - わたしの場合 - | 看護師のまど


2008/07/09更新

宮子あずささんに聞く 「看護師」というお仕事 - わたしの場合 -

看護師として20年以上のキャリアを持つ一方で、小説やエッセイを執筆。数々の講演も行なっている宮子あずささん。「趣味は大学通信教育」と笑い、すでに短大1校に大学2校、大学院を卒業し、現在も武蔵野美術大学の通信教育でグラフィックデザインの勉強をしています。そんな宮子さんにとって、「看護師という仕事とは?」「ワーク・ライフ・バランスとは?」......。気になることを、いろいろ聞いてみました。

"看護師"というお仕事~私の場合~ そのⅠ(看護師になるまで)

早く大人になりたかった高校時代

----どんな高校生でしたか?

「働いてこそ自分の人生」と思っていた私は、高校を卒業したら職に就こうと思っていました。入学した都立高校はいわゆる進学校で、大学受験のための授業をする先生も多く、すごく反発を感じていましたから、授業や業者テストをボイコットしたり...。学校の勉強そっちのけで、真剣に公務員試験の勉強をしていました。当時は、公務員になりたかったんです。

ところが2年生のある日、母から「大学だけは行って欲しい」と言われてしまったんです。母は戦後間もなく親の反対を押し切って慶應大学に行った経歴を持つ女性で、いつも私のやることを黙ってみていてくれる人。その母が「大学へ行ってくれ」と言う。これは心にグッときました。「あなたがなりたい『お勤め人』は、大学を出てからでもなれるでしょう」とも、母は言いましたね。それから勉強をして現役で明治大学文学部に入学しました。

早く大人になりたかった高校時代

----亭主と子ども1人を養える職業は!?

ところが、大学に入って気がついたんですけれど、求人がほとんどないんですよ。浪人と下宿生の多い明治大学卒業の女子を雇ってくれるところなんて、ほとんどない。もともと就職難の時代でしたしね。なかなか就職できない先輩たちを見て、「これはちょっとまずいぞ」と思いました。それで、稼げる方法をリサーチし始めたんです。

私のなかでは、漠然と「亭主と子ども1人を養える職業に就く」という"職業選択基準"があったんです。当時の母の知り合いに、たまたま子ども3人を養っているシングルマザーの助産婦がいたんですよ。「これだ!」と思いましたね。助産婦なら「子どもを3人も養えるのか」と。それに、助産婦なら独立起業もできるし、どこかに勤めることもできる。いろいろな道があっていいと思ったのも事実でしたね。

当時は、女性の職業の選択肢なんてそれほどありませんでした(私自身は、今もそれほど多いとは思っていませんけれど...)。私自身は、オートバイの整備士と鍼灸師も選択肢のなかに入っていたんですけれど、オートバイの整備士は、ネジをドライバーで回すことすらできなくて断念。鍼灸師は学校の授業料が高くてやめました(笑)。ですから、私の意識のなかでは、ごく少ない選択肢のなかから、この道を選んだという気持ちが強いです。結局、大学は中退。手に職をつけて、「亭主と子ども1人を養える女」になるために、看護学校に入学しました。

"看護師"というお仕事~私の場合~ そのⅡ(看護師になってみたら)

ぶきっちょナースは落ちこぼれ!?

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----卒業後はどうされたのですか?

看護学校を卒業して、1987年4月から都内の病院で働き始めました。もともとは助産婦になるために看護学校へ入学したのですが、勉強をしているうちに「新しい命」に関わる助産婦という仕事より、病気の人と関わる看護師の仕事のほうに魅力を感じたからだったように思います。

とはいえ不器用でそそっかしい私は、就職3年目までは本当に「とほほ」なナースでした。当時、3人の同期がいたのですが、彼女たちは揃って器用で仕事の覚えも早かった。例えば、点滴の準備ひとつ取っても、ほかの新人がスマートに行なうのに対して、私はガラスのアンプルを割るたびに指を切って血まみれになるといった具合。

2年目に入って急変時の処理などグレードの高い仕事に就くようになると、その差は更に歴然としてきて、心肺蘇生の介助にキビキビと働いている同期を横目に、私にあてがわれるのは、いつもその他の仕事でした。あの頃は、「いつか絶対に急変の介助につくぞ」と思っていました。

ただ、私にとって救いだったのは、落ちこぼれの原因が技術的な問題だったことです。私自身、同期に先を越されて落ち込むこともありましたけれど、技術さえ上がれば大丈夫、という心のよりどころがあったのは良かったと思います。

イケイケ気分の2年間、それを過ぎたらまた落ち込んで

----自信が持てるようになったのは、いつぐらいからですか?

3年目くらいで、自分でも「おみごと!」と思えるほどの、急変の介助ができてからは、気分的には向かうところ敵なし。2年くらいは"イケイケ気分"でしたね。でも、5年目に入ったあたりから、できないことがまた見えてきて、落ち込んで......。結局、ひとつのことをクリアして次のステージに行けば、そこでまた課題が見つかるんですよね。看護師は、その連続。でも、だからこそ長く続けていられると思うんです。

長いことやっていると「思い出と和解できる」

----若い頃と今...。考え方で変わったことはありますか?

長いこと看護師をしていて良かったと思えることがあります。それは、「思い出と和解できる」ことです。昔は許せなかったことが、今なら許せる。見方が変わってくるのです。

看護師になって3年目くらいのこと。肺ガンの患者さんで何をやっても満足してくれない患者さんがいました。「足がしびれる」と言って私たちに、20時間以上も足をもませる。それでも、決して楽になったとは言わないんです。何十時間足をもみ続けても満足しないんですね。一方で、肩甲骨にガンが転移していた 70代の女性は、5,6分さするだけで「ありがとう。気分が良くなったわ」と言ってくれた。

私は当時、彼女は迷惑をかけるまいと、少しさすっただけで解放してくれていたんだと思っていました。つまり、彼女は我慢しているんだと思っていた。何十時間さすっても満足しないあの男性のほうが、わがままを聞いてもらえて得している、彼女は我慢している分、損をしていると考えていたんです。

でも、今はちょっと違います。あの女性は、さすられた時間はわずかでも、彼女なりに満足していたのだと思えるようになったのです。一方のわがまま放題の男性は、何をやってもらっても満足できない人だった。今考えてみれば、むしろ幸せだったのは、ちょっとしたことにも満足できた彼女の方だったのではないか。当時は、「主張が強い人に押し切られた」という思いばかり強くて、自分の関わりを振り返る余裕もありませんでした。でも、今ならどんなことをしても満足できないのも可愛そうだな、と思える。あの頃にそんな気持ちになれたら、もう少しお役に立てたかも知れませんね。20年かかってそう思うようになりました。

"看護師"というお仕事~私の場合~ そのⅢ(看護師を目指す人たちへ)

やり直し思考はダメ、「満足する力」をつけよう

----看護師を続けていく秘訣はありますか?

「思い出と和解できる」のところでも話しましたけれど、「満足すること」はとても大切だと思うんです。これは、看護師の仕事でも大事だと思います。些細なことでも、感謝して満足する。「満足できる力」を持つことって、案外、看護師を長続きさせる秘訣かもしれません。

その意味では、「昔入院したときに、ちゃんとしたケアをしてもらえなかったから、私が看護師になってケアをしたい」とか「親が満足のいくケアをしてもらえなかったから、自分が......」という「やり直し」を求める気持ちで看護師になるのは止めた方が良いですね。そうやって看護師になると、お世話をし続けます。ケアすることだけに満足してしまって、看護の本質が見えなくなってしまいます。見返りを求めたくなったりもします。もし、そういう気持ちを持っていたら、気持ちをきちんと整理して、自分で納得してから看護師になってほしいと思います。

今は武蔵野美術大学でデザインを勉強中

----宮子さんは大学の通信教育をたくさん取っていますけれど、それは気分転換的なものもあるのですか?

私の場合、ほとんど趣味という感じなので、ある意味、気分転換なのかもしれません。

刺激がないのが嫌なんですね。辛くても、忙しくて大変でも、刺激されていたい。看護師の仕事とは違うことをやって「へへっ」って笑っていたいんです。だから、通信大学でも看護は勉強しません。だって、「あの人、大学の通信教育で勉強して、昇格を狙っているのかしら」なんて邪推されるのも嫌じゃないですか(笑)。

基本的に手を動かすのが好きだから、今年、武蔵野美術大学の情報デザイン学科コミュニケーションデザインコース」に入り直しました。今はイラストを描いたり、レタリングに精を出したりしています。

でも、私の場合は夫の存在が大きいですね。やっぱり、「この人だけは味方」と思える存在がいることは力になります。

看護が好きなんじゃなくて、看護師が好き

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----今は師長さんですけれど、管理職ってどうですか?

役職それぞれに大変なことはありますけれど、私は現場の看護師の方が、今の私より大変だと思います。今は、情報が氾濫していますから患者さんも情報通。しかも、私たち看護師も含めて、世の中の人全て、我慢する事が苦手になってきていると思うんです。

そんな風ですから、いろんな事を言ってくる患者さんは多いんです。現場の看護師は大変です。ですから、「宮子が頭を下げて穏便にすむなら何度でも頭を下げます」というのが、今の私の気持ち。頭を下げるのも、管理職の甲斐性です。

結局ね。私、看護師が好きなんだと思うんです。看護が好きなのではなく、看護師が好き。看護師が気持ちよく働ける環境を整えておきたい。

私は常に「普通の看護師」でありたいと思う。だから、年齢や経験を経て、主任、師長と昇格していくのも当たり前、ととらえています。

看護師という一本道をずっと歩いてきた私ですけれど、これからもずっとこの道を歩いて行きたい。この一本道と出会えた事は、とても幸せだと思っています。ご縁があって看護師になったのだから、この道を全うしたいですね。

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宮子あずさ さんプロフィール

1963年、東京生まれ。都立高校を卒業して明治大学文学部に入学するが、先輩たちの就職難に自身の将来を案じ、中退。手に職を持つために東京厚生年金看護専門学校へ入り、1987年に厚生年金病院内科病棟へ入職する。1996年に精神科病棟へ。現在は緩和ケア病棟と精神科病棟の師長を兼任する。

看護師として働く一方、小説やエッセイを執筆。仕事と並行して、通信課程で武蔵野美術大学短期大学デザイン課、産能大学経済情報学部、明星大学文学研究科教育学専攻修士課程修了。おもな著書に『看護婦だからできることⅠ・Ⅱ・Ⅲ』(リヨン社・集英社文庫)、『看護婦が見つめた人間が死ぬということ』(海竜社・講談社文庫)、『ほんわかナース生活』(大和書房)、『宮子あずさのナースな毎日』(実務教育出版)など。

宮子あずささんのホームページはコチラ

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